大学生活3

Hei

 

いよいよ4年目。

 

3回生(3年生)のときに、4回生のときに所属する講座について学生主体で決めるようにとの連絡がありました。

 

第1講座から第5講座までありましたが、誰が準備したのか、ホールに希望を記入する用紙が貼り出され、講座間で希望者数にけっこう差があったにもかかわらずそのまま決まりました。

 

自分としては大学院に進むつもりはなかったので、就職が有利とのうわさがあった第1講座としました。

講座(研究室)メンバーとしては、教授を筆頭に、助教2人、講師1人、助手1人、博士課程2人、修士課程4人、学部生10人くらいだったように記憶しています。

 

指導教官に指示された過去に在籍していた方の仕事を引き継ぐかたちでの実験三昧でしたが、今思うと恥ずかしい限りです。

実験はルーチンで、関連文献や特許を読み込むこともなく、実験前に仮説を立てることもなく、実験結果に対し深く考察することもなく。。

 

それでも卒業見込みとなりいよいよ就活がはじまります。

 

それではまた。

 

Kiitos

 

大学生活2

Hei

 

前回は大学生の本分である勉強について書きましたが、今回はそれ以外について。

 

まずはサークル活動。

まわりにはサークルに入らない人もけっこういたのですが、せっかくなので何かしようかなと。

で、かっこよさげの弓道や役立ちそうなESSなど体験入部もしてみたのですがいまいち合わなかったので、最終的にとあるダンス系サークルに入部しました。

・これまでまったく考えたことがなかったこと、

・熱心に誘われ続け、また同じように参加していた新入生と比較的気が合ったこと、

・そして、これまで女の人とあまり話すことがなく(どちらかというと自分から避けていた)、今後の社会人生活や遠い未来の結婚などに備えた訓練になるかという期待、

などが理由です。

 

なぜか体育会だったのですが上下関係はまったく厳しくなく、単位所得のコツを教えてもらったり、先輩の下宿の飲み会で迷惑をかけたり、生涯のパートナーと出会ったり、など本当にいろいろとありました。

 

4年間お世話になりましたが、その間いろいろと出費もかかったので、返済要の奨学金に加えてバイトもいくつか経験しました。

 

例えば、

・長期休暇中の工場勤務

 ずっと立ちっぱなしの機械操作でお金を稼ぐしんどさを体感

・家庭教師

 登録会社からの紹介ですがそもそも勉強の習慣がない子供を担当することが多く、近所のお兄さん感覚でプレッシャーを感じることなく楽してけっこう稼げました。

・皿洗い

 アルバイトニュースでみつけたメキシコ料理店で。

・そのほかにも学生相談所に求人のあった数時間単位の単発ものをいろいろと

 ビジネスホテルでの客室ベッドメイク、酒蔵での一升瓶のラベルはがし、美術館への展示物搬入、競馬場での雑用など

 

お金をいただきながらほんのすこし社会勉強もさせてもらいました。

 

それではまた。

 

Kiitos

 

大学生活

Hei

 

一浪の末に複数の大学に合格し、本命の国立大学に入学しました。

 

自宅通学です。

 

これまでにもましていろんな人がいましたが、オリエンテーションを通じてアイウエオ順が近かったり、出身地が近かったり、同じような空気をまとっていたりなどで何人かと浅い関係を築くことができました。

 

さて、大学生の本分である勉強についてです。

 

当初は受講できるほとんどの講座に登録したり、新品の教科書、推薦図書、辞書などを揃えたり、とやる気満々でしたがすぐに挫折しました。

 

きっかけはたしか解析学

 

これまで理数系の学科は難しそうな内容、問題であっても頑張って考え続ければなんとか理解できていたのですが、解析学のある部分で数日このことばかり考えたにもかかわらず躓きました。

 

ただ単にアタマが悪かっただけなのか、教科書の記載が不適切だったのか。。

 

いずれにせよ、考えてもわからないことがある、ということを学びました。

 

このあと周囲から簡単に単位をとる方法などを教えてもらい、授業は単位をとるだけの位置づけとなりました。

 

後になってあのときまじめに勉強していればと思うこともありましたが、もし可能だったとしても授業を理解するよりも語学や資格など別の方向がよいかもです。

 

今後、後になって後悔することのないようにしていければと思います。

 

 

それではまた。

 

Kiitos

 

浪人

Hei

 

現役での大学受験に全滅し、予備校通いをはじめました。

 

これまで塾には通ったことがなかったのですが、こんなものかといった印象です。

 

文学好きらしき中年のバイト先生が二日酔いで脱線気味の講義したり、どこかの学校の元先生がそれは見事なカタカナ英語で問題を解説したり、今思い起こせばレベルはけっこう低め。

 

世の中にはいろんな人がいていろんな職業があるということがわかりました。

 

高校時代の知り合いがいない方がいいだろうということで選んだ予備校でしたが、あまり話をする関係ではなく顔と名前が一致するくらいの同級生と偶然再会しました。

 

この年阪神が優勝したことをすごく喜んでいた彼ですが、今も元気で久し振りの優勝を喜んでいるのでしょうか。

 

1年間を受験勉強に費やし、少し学力もあがったところで、志望校と滑り止め数校とに合格することができました。

 

その当時、周辺では浪人生はあまり珍しくもなく、早生まれだったこともあってかあまり劣等感みたいなものを感じることはありませんでした。

 

後になって、当時にもっともっと勉強して、現役であるいは一流といわれる大学に入学できていればと思うこともありましたが、そのような人がすべて仕事ができるわけではないということがわかったので、いつのまにかその思いもなくなりました。

 

今回はこのあたりで。

 

 

それではまた。

 

Kiitos

 

大学受験

Hei

 

高校3年になると、進路相談があったり、クラスメートが早々に部活を引退したりバイトを辞めたりして塾に通いだしたり、進路のはなしがちょくちょく話題にでてくるようになったり、と少しずつ雰囲気が変わってきました。

 

とはいっても、ここは新設校。

先輩(2学年のみ)の進路情報も少なく、全体的にのんびりとしていて圧迫感みたいなものはほとんどなかったように思います。

 

丙午世代(人口谷世代)の空気感だったのかもしれません。

 

かくいう自分も部活(柔道部)は夏までがっつり参加してました。

 

2学期以降、受験勉強らしきものを始めましたが、やったことといえば進研ゼミと赤本くらい。

今思えば、内容を理解するというよりも、本質的な理解は二の次でとりあえず目の前の問題をコンプリートしていく感じ。

 

なので、かなり効率が悪くなかなか成績向上の実感がつかめませんでした。

 

そんな中、受験校としては、経済的な事情から自宅から通学圏内の旧帝大ではない国立大学と関西ではそこそこ有名な私立大学を選択。

 

結果は全滅。

 

運がよければもしかしたら・・・、と少しだけ期待していましたが、それ以前のレベルだったようです。

 

で、浪人することになりましたが、自宅では自信がなかったので、電車で40分ほどの予備校にいくことにしました。

 

今回はこのあたりで。

 

 

それではまた。

 

Kiitos

 

高校生活

Hei

 

地元の公立高校では普通の高校生活を送りました。たぶん。

 

断片的な記憶として残るクラスメートとしては、

・見た目やんちゃでシャイな留年生A君

・複雑な家庭事情のためか最終的には自主退学したB君

・ミュージシャン志向のC君

そして

・体育(長距離走)の授業中に突然死したD君

 

校内暴力が盛んだった時期ですが、この高校では特に大きな問題はなかったように思います。

 

毎日高台の上にある高校に自転車で通って、柔道部に在籍したことで、基本的な体力がつきました。

 

勉強については、高校のレベルが低かったので、上の上。

全国模試では中の上あたりだったでしょうか。

 

卒業後は就職する人が多かった印象です。

家業、郵便局、警察、消防など。

 

進学先としては、専門学校やFラン大学がほとんど。

 

自分としては、特にやりたいことがあった訳ではなかったのですが、そこそこの大学を目指すことにしました。

 

受験対策としては、塾には行かず進研ゼミ1本です。

 

受験結果については、次回に。

 

 

それではまた。

 

Kiitos

 

高校受験

Hei

 

経済的事情から高校は公立が前提でした。

当時も今も私学はそれほど好きではありませんが、もしかしたらこどものときからそのように誘導されていたのかも。。

 

で、志望校は通う中学校のある特定エリア内から選ぶことになるのですが、古い(歴史のある)学校ほど難しくなる感じ。

自分の実力では1番校はほぼ無理、2番校か3番校あたりだったのですが、ランキング対象外の高校に決めました。

 

理由としては、

・自分の代でようやく3学年揃うことになる新設校で、先生から勧められた。

・自宅からまぁまぁ近い。

 

後からわかったこととしては、

・新設校なので全体的にきれい。

・プールはまだできていなかったので、苦手だった自分としてはラッキー。

・優等生からやんちゃまでいろんなタイプが在籍。

 

中学ではどの科目もクラスで5番以内と、高校受験では絶対合格すると思っていたので、一般的だった私学との併願(滑り止め受験)はやめてその浮いたお金で自転車を新調してもらいました。

今思えばインフルなどで受験できなくなる可能性もあったわけで、ちょっとリスクを取りすぎたかも。。

 

後日、とりあえずもらっていた中学校の内申書(厳封)を開けてみたところ、あまりいいところが書かれておらず(自分の思うように先生は自分のことを理解しておらず)、少しショック。。

 

こんな感じで入った高校でしたが、概ね楽しく過ごせたように思います。

次回以降、その高校生時代を振り返ってみたいと思います。

 

 

それではまた。

 

Kiitos