入社

Hei

 

いよいよ入社です。

 

新調したスーツ、Yシャツ、ネクタイ、革靴などできめて、自宅から電車で1時間ほどかけていざ本社に。

 

このときはじめて同期入社(院卒、高専卒等を含む)が二百数十人いることを知りました。

 

大きな会議室に集められてオリエンテーション。これがたしか丸2日。

入れ代わり立ち代わり、取締役などお偉いさんとか入社2年目の人とかがいろんな話をしてくれるのですが、初めて聞くことだったり、専門的過ぎたりで正直おなかいっぱい。

 

そのあと2回の工場実習。それぞれ違う10人ほどのグループに分けられて。

1回目は2週間、2回目は4週間。それぞれ北陸地方の異なる工場で。

夜勤もあったりで都合のよい戦力として利用されましたが、社員寮に泊ったこともあり同期とはまぁそれなりに。

 

この時点でまだどこでどんな仕事をするのかわかりませんでしたが、2回目の実習の後半で新入社員が集められ配属先が知らされました。

 

場所は滋賀県野洲)で、業務内容は材料開発とのこと。

ほぼ希望していた内容で一安心。

 

それではまた。

 

Kiitos

 

就活

Hei

 

4年目のGW明け。

 

教授から研究室の全員が招集され、就職についての説明がありました。

 

・今来ている求人情報をここに貼っておくので就職を志望する人は確認しておくように。

・これ以外の就職先希望があればあらためて話をきく。

こんな感じだったと思います。

 

求人はバブル全盛だったこともあり、CMでもよく目にするような大手総合家電メーカーや材料メーカーが多かったです。

が、自分としては、研究内容にかすっている電子部品メーカーを、広く知られていない会社(縁の下の力持ち系)、関西地盤、製造業、といった理由などで選びました。

 

この時点で研究室からの希望は自分1人だけだったので、教授推薦のカタチでほぼ決まりとのこと。

なので、他の企業も検討することはなく、当然、業界研究などもまったくせず。。

 

(形だけの)面接のあと、しばらくしてから、内定の連絡がありました。

 

そのあと年度末までに卒論を仕上げて無事卒業。

そのタイミングで、会社から説明資料や推薦図書資料などが送られてきて、いよいよ就職です。

 

深く考えることなく決めた就職先でしたが、今振り返ると幸運でした。

当時隆盛を極めていた大企業、有名企業がこの後没落していくのに対し、業界首位に上り詰めて知る人ぞ知る優良企業に成長しました。

 

次回以降は就職後について、会社関連の資料はほとんど廃棄したので覚えている範囲で振り返っていきたいと思います。

 

それではまた。

 

Kiitos

 

大学生活3

Hei

 

いよいよ4年目。

 

3回生(3年生)のときに、4回生のときに所属する講座について学生主体で決めるようにとの連絡がありました。

 

第1講座から第5講座までありましたが、誰が準備したのか、ホールに希望を記入する用紙が貼り出され、講座間で希望者数にけっこう差があったにもかかわらずそのまま決まりました。

 

自分としては大学院に進むつもりはなかったので、就職が有利とのうわさがあった第1講座としました。

講座(研究室)メンバーとしては、教授を筆頭に、助教2人、講師1人、助手1人、博士課程2人、修士課程4人、学部生10人くらいだったように記憶しています。

 

指導教官に指示された過去に在籍していた方の仕事を引き継ぐかたちでの実験三昧でしたが、今思うと恥ずかしい限りです。

実験はルーチンで、関連文献や特許を読み込むこともなく、実験前に仮説を立てることもなく、実験結果に対し深く考察することもなく。。

 

それでも卒業見込みとなりいよいよ就活がはじまります。

 

それではまた。

 

Kiitos

 

大学生活2

Hei

 

前回は大学生の本分である勉強について書きましたが、今回はそれ以外について。

 

まずはサークル活動。

まわりにはサークルに入らない人もけっこういたのですが、せっかくなので何かしようかなと。

で、かっこよさげの弓道や役立ちそうなESSなど体験入部もしてみたのですがいまいち合わなかったので、最終的にとあるダンス系サークルに入部しました。

・これまでまったく考えたことがなかったこと、

・熱心に誘われ続け、また同じように参加していた新入生と比較的気が合ったこと、

・そして、これまで女の人とあまり話すことがなく(どちらかというと自分から避けていた)、今後の社会人生活や遠い未来の結婚などに備えた訓練になるかという期待、

などが理由です。

 

なぜか体育会だったのですが上下関係はまったく厳しくなく、単位所得のコツを教えてもらったり、先輩の下宿の飲み会で迷惑をかけたり、生涯のパートナーと出会ったり、など本当にいろいろとありました。

 

4年間お世話になりましたが、その間いろいろと出費もかかったので、返済要の奨学金に加えてバイトもいくつか経験しました。

 

例えば、

・長期休暇中の工場勤務

 ずっと立ちっぱなしの機械操作でお金を稼ぐしんどさを体感

・家庭教師

 登録会社からの紹介ですがそもそも勉強の習慣がない子供を担当することが多く、近所のお兄さん感覚でプレッシャーを感じることなく楽してけっこう稼げました。

・皿洗い

 アルバイトニュースでみつけたメキシコ料理店で。

・そのほかにも学生相談所に求人のあった数時間単位の単発ものをいろいろと

 ビジネスホテルでの客室ベッドメイク、酒蔵での一升瓶のラベルはがし、美術館への展示物搬入、競馬場での雑用など

 

お金をいただきながらほんのすこし社会勉強もさせてもらいました。

 

それではまた。

 

Kiitos

 

大学生活

Hei

 

一浪の末に複数の大学に合格し、本命の国立大学に入学しました。

 

自宅通学です。

 

これまでにもましていろんな人がいましたが、オリエンテーションを通じてアイウエオ順が近かったり、出身地が近かったり、同じような空気をまとっていたりなどで何人かと浅い関係を築くことができました。

 

さて、大学生の本分である勉強についてです。

 

当初は受講できるほとんどの講座に登録したり、新品の教科書、推薦図書、辞書などを揃えたり、とやる気満々でしたがすぐに挫折しました。

 

きっかけはたしか解析学

 

これまで理数系の学科は難しそうな内容、問題であっても頑張って考え続ければなんとか理解できていたのですが、解析学のある部分で数日このことばかり考えたにもかかわらず躓きました。

 

ただ単にアタマが悪かっただけなのか、教科書の記載が不適切だったのか。。

 

いずれにせよ、考えてもわからないことがある、ということを学びました。

 

このあと周囲から簡単に単位をとる方法などを教えてもらい、授業は単位をとるだけの位置づけとなりました。

 

後になってあのときまじめに勉強していればと思うこともありましたが、もし可能だったとしても授業を理解するよりも語学や資格など別の方向がよいかもです。

 

今後、後になって後悔することのないようにしていければと思います。

 

 

それではまた。

 

Kiitos

 

浪人

Hei

 

現役での大学受験に全滅し、予備校通いをはじめました。

 

これまで塾には通ったことがなかったのですが、こんなものかといった印象です。

 

文学好きらしき中年のバイト先生が二日酔いで脱線気味の講義したり、どこかの学校の元先生がそれは見事なカタカナ英語で問題を解説したり、今思い起こせばレベルはけっこう低め。

 

世の中にはいろんな人がいていろんな職業があるということがわかりました。

 

高校時代の知り合いがいない方がいいだろうということで選んだ予備校でしたが、あまり話をする関係ではなく顔と名前が一致するくらいの同級生と偶然再会しました。

 

この年阪神が優勝したことをすごく喜んでいた彼ですが、今も元気で久し振りの優勝を喜んでいるのでしょうか。

 

1年間を受験勉強に費やし、少し学力もあがったところで、志望校と滑り止め数校とに合格することができました。

 

その当時、周辺では浪人生はあまり珍しくもなく、早生まれだったこともあってかあまり劣等感みたいなものを感じることはありませんでした。

 

後になって、当時にもっともっと勉強して、現役であるいは一流といわれる大学に入学できていればと思うこともありましたが、そのような人がすべて仕事ができるわけではないということがわかったので、いつのまにかその思いもなくなりました。

 

今回はこのあたりで。

 

 

それではまた。

 

Kiitos

 

大学受験

Hei

 

高校3年になると、進路相談があったり、クラスメートが早々に部活を引退したりバイトを辞めたりして塾に通いだしたり、進路のはなしがちょくちょく話題にでてくるようになったり、と少しずつ雰囲気が変わってきました。

 

とはいっても、ここは新設校。

先輩(2学年のみ)の進路情報も少なく、全体的にのんびりとしていて圧迫感みたいなものはほとんどなかったように思います。

 

丙午世代(人口谷世代)の空気感だったのかもしれません。

 

かくいう自分も部活(柔道部)は夏までがっつり参加してました。

 

2学期以降、受験勉強らしきものを始めましたが、やったことといえば進研ゼミと赤本くらい。

今思えば、内容を理解するというよりも、本質的な理解は二の次でとりあえず目の前の問題をコンプリートしていく感じ。

 

なので、かなり効率が悪くなかなか成績向上の実感がつかめませんでした。

 

そんな中、受験校としては、経済的な事情から自宅から通学圏内の旧帝大ではない国立大学と関西ではそこそこ有名な私立大学を選択。

 

結果は全滅。

 

運がよければもしかしたら・・・、と少しだけ期待していましたが、それ以前のレベルだったようです。

 

で、浪人することになりましたが、自宅では自信がなかったので、電車で40分ほどの予備校にいくことにしました。

 

今回はこのあたりで。

 

 

それではまた。

 

Kiitos